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中学生二年生のハヤテはJapanOpen国際優勝から勢いに乗り、夏の全日本ジュニアのメダル再奪取にむかいました。
年齢的にU12の年齢をすぎ、一からU17の強化指定を取り直さなければいけない一戦でした。
この年は、僕自身、前年までのマスターズ日本代表から陥落し、ハヤテが負ければ我が家から日の丸が消えるという思いもあり、厳しい臨戦となりました。
僕自身の敗戦直後、ハヤテが僕にいった言葉は「俺がやる」でした。
ずっと子どもだと思っていましたが、この時はじめてハヤテを男として頼もしいと思ったのを覚えています。
出場階級は最激戦区の中学生軽量級、トーナメントは「よくこれだけ集まりに集まったな」と思えるくらいの、各都道府県代表50名近くの殲滅戦になりました。
一回戦の長野代表、二回戦の愛知県代表になんとか競り勝ち、むかえた準々決勝・メダルマッチ…
勝てば、メダルと強化指定を再奪取の一戦の相手は、黄帯(8級)でした。
このレベルの大会に黒帯以外が勝ち上がってくるのがおかしいな、と感じ調べたところ、相手はフルコンタクト空手の全国区チャンピオン、競技をまたいでの越境出場選手でした。
それは、ハヤテ個人の問題ではなく、テコンドー家として絶対に退けない一戦でもあり、協会の役員の方が試合前にわざわざ「必ず勝て」と言いにくる状況でした。
試合開始、コートに向かうハヤテはくるりとこちらを向き、セコンドの僕に一礼をしました。
これまで、そんなことをしたことはなかったのですが、ハヤテの目つきに様々を悟りました。それは、「覚悟の一礼」だったのでしょう。あの、目つきは一生忘れることがないと思います。
試合は、殺気を超えた何かで完全に相手を圧殺、左ハイを何度も決めて勝利しました。
準決勝は奇しくも、JapanOpen国際決勝での対戦相手…サドンデスまでもつれ込む死闘のすえ敗退となりました。この相手と決着をつけるのは二年後になりますが、それはまだ先の話でした。