高2・高3と連続でJOC全日本ジュニア選手権のメダルを獲得したハヤテは、本人の希望通り、テコンドーの最名門大学の希望学科(スポーツ科学)に学費免除のスポーツ奨学生として進学することになりました。
すでに高校2年生から同大学の夏合宿には特別参加させてもらっており、先輩方とも顔見知りで、また、出稽古先の先輩たちも同大学に数名が進学しており、たった一人の上京生活の始まりでしたが、ずいぶんと安心して進めました。
また、一日でも早く強くなれるようにとの大学側の配慮で、高校の授業のなくなった3月から早めに引越し、練習に参加となりました。
練習の厳しさについては聞かされていましたが、月曜から日曜まで週7日の練習は、身体が慣れるまでは相当にきつかったようです。
大学生の公式戦は、夏のインカレ(全日本学生選手権)と上位2名が進出できる全日本選手権です。また、インカレで結果を出せなかった場合は、一般東日本大会(または西日本大会)の3位以上から全日本選手権に進出するという敗者復活ルートもあります。
大学生になって始めてのインカレは、当時全日本学生チャンピオンで2つ上の先輩と緒戦で当たり、完膚なきまでにコールド負け、東日本大会の敗者復活ルートに回ることになりました。
試合開始。
※1回戦・2回戦・準々決勝・準決勝は「青防具」、決勝は「赤防具」
この頃のハヤテはまだまだ荒削りで、攻撃に特化したスタイルで乱打戦になる傾向がありました。具体的に言えば、持って生まれた左ハイを振りまわすだけの戦い方です。
これは、小さい頃から片田舎で一人磨いてきた「我流の拳」の特性でもありますが、攻めるにおいては威を発し、守るにおいては威を失うというものです。
この大会では、攻め一方の戦い方がうまくはまり、決勝までは全てコールド勝ち、結果として優勝、全日本選手権に進出することができました。
しかしながら、このようなアンバランスな我流の戦い方が全日本選手権で通用するはずもなく、防御の隙をきれいに突かれ、左ハイを撃つことすらできず緒戦敗退でした。
この経験から、防御の大切さを痛感し、国内でも最高峰とされる同大学のガード技術を真剣に身につけていくことになります。