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現在、東京のテコンドー名門大学に進学し、大学一年生で東日本地区チャンピオンのハヤテですが、今の彼の状況を決めた、幼少から戦い続けてきたジュニア選手としての集大成となった一戦が、高校二年生で臨んだJOCジュニアオリンピックカップ全日本選手権でした。
高校二年生と三年生の競技戦績は推薦進学査定に直結します。
彼が進学を希望していた大学の推薦基準は「県大会優勝以上」なので、高校生で愛知県選手権三連覇のハヤテはすでにクリアしていました。
しかし、その上にスポーツ奨学生進学というのがあり、地方から上京するには経済的にその基準(全日本三位以内)を満たす必要があります。
もちろん内心は、奨学生がだめでも、借金をしてでも進学させるつもりでした。
そのようなことで、アマチュア競技であり、まだ未成年ながら「経済的な事情」も考えて戦わなければいけない臨戦となり、親としても苦しい気持ちでした。
非常に突き詰めた臨戦となり、我が家の小さなジムのサンドバッグが鳴りやむ日はありませんでした。
スタミナ強化で低酸素トレーニングも導入し、見ているだけで苦しい部分も少なくありませんでした。
試合の一週間前、僕は耐えきれずハヤテに「学費は工面するから何も考えずに戦えよ」というようなことを言いましたが、彼の返答は…
「それはもう関係ない。戦う以上、相手は自分を殺しにくる。殺られる前に確実に倒す。」
というような答でした。
これまでも、厳しい局面は多くありましたが、ここまで覚悟を決めたハヤテは初めてだったと思います。
あの時の虎のような目は忘れられません。
今後の人生の岐路となる一戦に、試合までの日にちがとても長く感じましたが、いよいよ当日を迎えました。
動画は、メダル=奨学生進学のかかった準々決勝からはじまります。
相手もかなりの強豪選手でしたが、試合中盤にハヤテの変化左ハイキックが直撃、これが決め手の一撃となり、大勢は決まりました。
何度も倒れ、何度もドクターチェックを受ける状態になっても、戦い続けた対戦相手に敬意を表したいと思います。
また、数ヶ月に完全に回復されたようで、心から安心しました。
決勝で待っていたのは、ノーマークだったイランからの留学生でした。調べたところU15の元世界ジュニアチャンピオンとのことでした。
結局、シーソーゲームの末に惜敗しましたが、日本人としては最高成績のため、あらゆる権利を手に入れたハヤテでした。
戦後、市長表敬、マスコミ取材など地元での祝福を受けましたが…
「努力しても報われない時は多い、しかし、努力しないと報われる日はこない」
そんな名言を痛感しました。