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高校一年生での復帰戦となった愛知県選手権を連覇し、JapanOPEN国際も連覇と好調で迎えた夏のJOC全日本ジュニアは、トップシード=トーナメント表の一番下(全試合赤防具)という、優勝候補として臨むことになりました。
準々決勝で対戦予定には、かつてハヤテが「恐怖で身体が動かなくなった相手」、全日本ジュニア連覇中の一学年上の極真空手チャンプ(競技越境出場)がいました。
極真空手チャンプは全日本ジュニア連覇のなか、二年連続で対戦相手が救急搬送と、その年代の選手の恐怖の的でした。
しかし試合前日、「すでに拳技は互角、恐怖はない」とずいぶん成長したハヤテを頼もしく感じたものでした。
トーナメントは順当に進み、迎えた準々決勝、対戦相手は極真空手チャンプです。
セコンドには交流のあった愛知県の名門道場ご子息、当時は名門大学のテコンドー部に所属しアジアチャンピオンの方に入っていただき、万全の態勢となりました。
試合開始。
ハヤテの想定した通り、試合は拳技互角のシーソーゲームとなり、決着は最終ラウンドにもつれ込みました。
最終ラウンド終盤、1ポイントビハインドだったハヤテは、試合終了10秒前、愛知県選手権でも逆転の一撃となった「チッキ」=「顔面蹴込み」を決め、2点リード。
誰もが勝ったと思ったラスト1秒、相手の後ろ回し蹴り(ティッチャギ)を被弾、敗退となりました。
拳技互角なら、最後の最後に勝敗を決するのは覚悟の差…そんなことを痛感しました。
昨年の中学生最後の全日本ジュニアでの悲劇的結末に続き、二年連続でメダルに届かず、もう心が折れてしまうのでは、と僕も関係者も感じました。
しかし、セコンドに入っていただいたアジアチャンピオンが「来週からウチの道場に出稽古に来い」と門戸を開いてくださり、心が救われたのを強く覚えています。
それから、高校卒業までの二年半、地元所属道場での練習にくわえ、毎週土曜日、片道3時間近くかけて愛知県の名門道場「漢塾」に通い続けることになりました。
今思うと、長い出稽古通いの日々で彼が得たものは技術だけでなく、「勝つために全てを捧げる覚悟」であったと感じます。